【道徳教育】友達は必要なのか?橘玲「幸福の資本論」から考える

突然の寒波に震えあがっている今日この頃。

体調不良をしないように用心しながら今日も頑張っていきましょう。

今回も岡田斗司夫さんのユーチューブから学んでいきます。

テーマはずばり「友達は必要なのか?」

なかなか切り込みにくいこのネタを巧みな包丁さばきで一丁あがり的な感じでわかりやすく解説してくれています。この動画を授業で行うとしてスライドを作り、どう説明するかを書いていきたいと思います。

目次

  • 友達不要論の条件
  • 幸福になるための条件
  • 8パターンを考える
  • 友達は必要なのか不要なのか

友達不要論の条件

まずは生徒に質問しながら色んな声を聞きたいところです。(アイスブレイク)

「いる」「いらない」の2択の他にいろんな意見が出るでしょう。

ネガティブな発言もあるかもしれませんが、それをどう切り返すのが腕の見せ所でしょうか。

日本人は友達について呪いをかけられている

どんな呪いなのか?

それは日本人ならだいたい知って(しまって)いるあの歌です。

一年生になったら、一年生になったら、友達100人できるかな

のあれです。

友達は多いことが正しい。友達が多いことが理想的。

その前提においてさまざまな指導が行われています。

何かしたら「そんなことしていたら友達いなくなるよ」と脅され

あるときには「みんなと仲良くしなさい」と強制され

最終的には「みんな〇〇しているんだから」という同調圧力がかかる。

これは、「友達が多くないといけない。そのためには空気を読まなくてはいけない」という洗脳を全国民にしているようなものではないか?

これは世界のスタンダードではない。

一年生になったら、一年生になったら、やりたいことができるかな?

ぐらいでいいのである。

友達不要論を語るとき

すべての人間に当てはまる話などない。

自分はどんな人間か、自分は何を求めているか。それによって異なってくるのである。

幸福になるための条件

友達がなぜ必要になってくるのか?

それは幸福になるためである。

友達だと言って不幸になっていくのは友達関係ではない

そこにはイジメの温床が考えられる。

幸福の3要素

まず人間が幸福を感じるときには3つの要素が考えられる。

これを感じることができたとき=幸せを感じる

ということが成り立つ。

自由がそこになくても自己実現に向かって進んでいると強く感じられれば幸せは感じられる

(全寮制の学校に入学し甲子園を目指す高校生)

友人関係(共同体)と自由に遊んでいるときは、自己実現の夢がなくても幸せが感じられる

(受験から目を背けて、仲間と放課後にふざけまくっている高校生)

上記2つは学校でよくある話で、その他にも例は無数にある。

このように幸福の形は無数に存在する。

その幸福は土台の上に成り立っている

自由も自己実現も共同体も当たり前のようにそこにあるのではない。

ある条件を満たしたときに現れる。

  • 金融資産=お金・土地
  • 人的資本=能力
  • 社会資本=家族・学校・地域・社会

この3つの土台の上に成り立つのが幸福というものである。もっと具体的に書くと、

  • お金があれば自由が得られる。でも能力は得られるわけではないし、絆が深められるわけではない。
  • 人的資本、能力があれば自己実現に突き進むことができる。しかし、必ずしもお金を稼げたり、絆が深められるわけではない。
  • 家族、学校、地域に属すれば色んな人を頼ることができる。しかし、お金が得られるわけでも、能力が高くなるわけではない。

こう説明すれば納得できる部分はあると思う。

それを〔ある/なし〕で分類する。

その8パターンをピラミッド型にしたものがこちらである。

3つのうち何個持っているかで、ピラミッドの位置が変わる。

全部持っていれば一番上、何もなければ一番下である。

ポイントは一番下の「貧困」にならない限り、人は幸せを感じて生活できるということ。

社会は貧困になる人を減らす努力が必要であるということである。

8パターンを考える

スライドにもあるように、これは存在しない。あくまで理想。

こうなると人生つまんないレベルかもしれない。

リア充とは能力が秀でていて、周りに人が多い人。なので、稼いでいない中高生にも「リア充」は存在しうる。=稼ぐとしているが、彼らが社会において稼げるかどうかは違うのかもしれない。

稼ぐ能力があり、資産を多く持っている。それを振りかざせば多くの人がついてくる。プロ野球選手に美女が惹かれるのはそこだと思うし、〇〇タウン元社長なんかもG力と付き合うことになったのはこの二つのファクターによるところが大きい。(完全主観である)

旦那というフレーズは寅さんのようなイメージだろうか。自分にとってリアルなのは2世芸能人。七光りなしにスポットライトが当たりようのない人間は多い。

3つのうち2つもつことは本当に難しい。2つもつことができれば、足りない1つを十分に補いながら幸福に生活できる。羨ましい。

おそらく、誹謗中傷とは足りない1つを嫌みったらしくグチグチ言うことなんだろう。単純に妬みである。

当の本人は何を言われても堂々と生きればいいのである。

退職者は、今となっては2000万以上の貯えを有している人のことを指すのだろうか。現役時代にできなかったことや旅行など、時間とお金を使って楽しむことができる。

ソロ充は、好きなことをとことん追求できればいいというクリエーターや研究職の人のことを指す。

プア充はマイルドヤンキー。友達がすべて。その共同体から外れることは死を意味する。生まれも育ちも地元で同じ仲間でつるみ続ける。そんな生活もアリなのである。

3分の1が満たされている状態は、好きなことができている時間は幸福である。しかし、それ以外の時間は孤独を感じたり、辛い思いをしなければいけなかったりもする。そして何より、それを失うと貧困に転落してしまう。その恐怖は時として耐え難いものがあるかもしれない。

スライドの通りである。

この層を減らすために生活保障があり、行政サービスがある。

何か一つでも手に入れれば幸福を感じることができる。しかし、貧困にあえぐ人にはその余力がない。だからこそ周りのサポートが必要なのである。

あなたが困っている人に少しでも与えられるのは3つのうちどれだろうか?こういう発想から行動すべきこと、社会のなかで自分ができることが見えてくるのではないかと思う。

友達は必要なのか?不要なのか?

結局、友達はあなたに必要なのか?

クリエーター・研究者は自分と向かい合おう

新しいものを生み出すということは前例にないことをするということであもある。だからこそ、周りとは違うという孤独に打ち勝つことが求められるし、周りの温かい目も必要になるのである。

必ずしも友達が必要なわけではない。どう考えてもスティーブジョブスは人間関係下手そうである。人的能力ですべてを解決した典型だと思う。

1人よりもみんなで何かしたい人

グループに所属しているときは輝いていたけど、ソロになった途端輝きが失われた例はたくさん見てきた。(その逆もしかり。)

必ずしも一人で生きていく必要はない。誰かと支え合いながら3つのうち1つでも2つでも満たしていけばいい。それが友達であり、パートナーである。(弱い人ほど結婚する価値があるということ)

将来、就職したときにうまくいかないとする。すべて自分のせいではないということ。自分の能力が発揮しやすいように「自分自身を変える(成長)」「働く環境を変える(変化)」させることで状況は変わっていくものである。

人はなぜ生きることができるのか

「自尊心」とは、「自分はいまのままでいいと思えるということ」である。その自信は周囲から包摂されてきたかどうかに大きく影響される。

「包摂」とは「承認=認められる・理解してもらう・褒められる・許してもらえる」ことである。

親に承認されてきた原体験がしっかりあれば、家の外に出ていける。なぜなら家に戻れば親が承認してくれるから。つまり安全地帯ともいえる。

次に「学校」「塾」「習い事」などとその安全地帯を増やすことに成功すれば、トラブルがあったときに逃げる場所が多くなり、精神的に安定しやすい。

家族とうまくいかず孤独な男性が職場でトラブルが起きると居場所がなくなり自殺してしまう。年間三万人と言われる日本の自殺。その大半が働き盛りの男であることはあまり知られていない。仕事ばかりして家族との時間をとらない(取れない)→孤立する→その仕事もうまくいかない→俺は何をしているんだろうと生きる希望を失ってしまう。

これが最悪パターン。

結論

友達100人も必要ない

全員と仲良くする必要はない

でも、「自由」「自己実現」「絆」を手にするために友達は必要である。

「与えるから、与えられる」のがこの世の摂理。

あなたは何を、目の前の人に与えることができますか?

授業終了

こんな感じになったがどうであろうか?

みんな仲良しよりも「共存共栄」が妥当だとおもう今日この頃。

だからこそ、時として全員の心が一つになる瞬間に感動があるのだと思う。

正解はないはずだろうが、いろんな場面で考える指標になる本と解説でした。

こんかいもありがとうございました。

明日からも生徒のために汗をかきましょう!!

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