平成元年に放映された「魔女の宅急便」
オープニングから街にたどり着くまでが、自分的宮崎アニメのベストともいえるシーンであるし、舞台となる街も住みたい場所トップランクは変わらない。ようはビジュアル重視で気分よく見る映画という感じ。海と街、時計台、山小屋、絵画、レトロなパン屋など現実に存在すればインスタ映えするスポットだらけのこの映画。
そんな魔女宅とトトロで育ち、もののけ姫や千と千尋の神隠しを思春期に観てきた33歳。
金曜ロードショーやDVDで何回も見てきたこの作品を宇野常寛さんが痛快に語る。
note版
https://note.com/wakusei2nduno/n/nd1dea4469e87
youtube版
宮崎駿にも忖度なしの批評。最高です。
その批評から浮かび上がってきたことを授業にぜひ生かしたいということで今回もスライドを作り、解説を書いていきたいと思います。
目次
- キキが再び飛ぶためには何が必要だったか
- 男キャラを飛ばすもの
- 飛ばないヒロイン
- 宮崎駿が提示した生き方
キキが飛ぶために何が必要だったか
キキと言えば魔女宅であり、途中で飛べなくなるし、ジジと喋られなくなるということは令和の中高生にも通じることなのか?おそらく大丈夫だろう。
意気揚々と街に乗り込んだキキが飛べなくなる。そのキキが再び飛ぶために何が必要だったのか

飛べなくなったキキが向かった先は、絵描きのウルスラの家。
そこでウルスラから大事なことを教わる。
実は、このウルスラとキキはただならぬ関係なのである。(自分もはじめて知った!?)

高山みなみという有名な声優が2役を演じている。そのキャスティングに宮崎駿の狙いや思いがある。
スライドにも書いてあるが「ウルスラはキキの未来像でありローモデル」であるということ。
ウルスラは絵を描くことで社会と向き合い、自己実現で生きている。
やり取りの中でキキは自分のアイデンティティを「飛ぶこと」であると確信する。

こうしてキキは社会化されたあとも、自分で飛ぶ理由を見つけて飛ぶことに成功する。
これは思春期から大人になる過程での葛藤や迷い。また、社会の中で自立していく物語なのである。

人は自己実現を夢見るときに飛ぶ(生きる)ことができる。
男キャラを飛ばすもの

これはルパンが「カリオストロの城」でクラリスに言った気持ち悪いセリフである。
このセリフは宮崎アニメの男キャラの特徴を雄弁に語っている。

ようするに「誰かのために飛ぶことができる」。
サラリーマンが会社の中で自己実現の夢が見られないときに「家族のためにがんばろう」というアレである。
また、悪く言うと「誰かがいないと飛べない」。
絶対に悪く言わない人に守られていないと、行動できない。母親に対する承認欲求がむき出しボーイ。これをもっとも象徴しているのがポルコ=ロッソ
人は、誰かがいてくれるだけで頑張れる生き物なのである。(それを支えるのは夢でなく責任感)
飛ばないヒロイン

もののけ姫に夢とか理想という言葉は似合わない。笑顔も恋も似合わない。
イデオロギーとか闘争とかそういう言葉が似合ってしまう。
彼らは何と向き合っているのか。

地べたで血みどろの戦いを強いられたのは、理想を失った現実を生きているからなのか。
キャッチコピーで「生きろ」

と、打ったのは。「現実はつらい。でも生きろ」ということなのか。なんとまあ、説教臭い。
しかし、夢がなく、守るべきものがない場合、現実を生きるしかない。現実を見たくなくなったときに“反社会的行為”に手を染めてしまうのかもしれない。
元甲子園のスターでプロ野球界の番長だったあの男も、引退することで自己実現を生きることができなくなり、離婚して守るべき人がいなくなり、現実を生きることに耐えられなくなったと考えることもできる。
宮崎駿が提示した生き方

年を追うごとに飛びにくくなったヒロインたち。それは宮崎駿の内面を映している。
「もう映画を作らない」
と言い出す理由もわからなくはない。
でも、この3つの生き方は日々の生活を続ける中で、ある時は理想に生き、自己実現がうまくいかないときは誰かのために生き、にっちもさっちもいかないときは現実を一つずつこなしていく。また、いいアイディアが生まれたら自己実現に再び挑戦し、、、という感じで固定せずにバランスをとるようにするのが現実的だ。
「こう生きるべき」と決めて生きてしまうと、詰まったときに深みにハマってしまうのではないかと思う。
心も体も適度に余裕をもって、ハンドルとアクセルとブレーキをうまく扱いながら生活を続けていきたい。
宮崎駿は女キャラに理想を託し、男キャラに期待していない。それは本人の偏見もある。

嫌でも社会化されていく少年少女。
そのあとにどう生きていくのか。それを考えるのが思春期であり学生時代なのかもしれない。
いつまでも無邪気でいるのが無理なのであれば、飛ぶ理由を自分で見つけ、自分だけの人生を思い切り飛びきってほしいものである。
授業終了
宮崎駿の批評を聞いて「なるほど」と思うことは多いが、「そのうえで、どうしていくのか」という肝心な部分を考えていくのが授業の狙い。
そのレベルに達しているとは思えないが、Kが薬物に手を出した背景がリアルに想像できたのが唯一の手柄かもしれない。
また、一つの理想に生きることは無理があるということ。状況によって視点をずらしながら日々バランスをとっていくことが大切であるということが自分の中でより明確になった。自分の中のキキ・パズー・サンを回す。何かしてそうで何もできないアシタカにはなりたくないかな。
納得したつもりでも、授業にしていくためには更なる思考が必要で、それこそがオリジナリティ。
それが身につくように後天的努力を積んでいきたいと思います。
明日からも生徒のために汗をかきましょう!!