【保健の授業で映画】3単元 「社会生活と健康」の導入

保健の授業

こんにちは。ホケンタイイク246です。

先日、保健の教科書の3単元に入る導入として、こんな記事を書いたのだが、全く読まれない。

マッドマックスとナウシカという二大作品が登場するのにもかかわらず読んでもらえない。

一方で授業ウケはイイ。ここに何らかの乖離がある。おそらくブログ記事の文章がイマイチなのだろう。

でも、このネタはもう少しは読まれてもイイんじゃないかという個人的な願望もあって、再掲したいと思う。

ただし、今回は授業で使用したスライドを使って解説をしていきたい。

3単元のテーマは「社会生活と健康」になる。空気、水質、土壌などの環境問題から、食品や働き方までを勉強する分野である。

そんなことを言われてもピンとこない人も多いだろう。

常に呼吸をし、毎日水分を取り、大地を生きているのにもかかわらず、そのことにピンとこないのには理由がある。

それは日本のインフラがしっかりしていて、多少の不満はあれども生活に支障が出るような事態にはなっていないからだ。

「飲める水がない」というレベルではなく、

「水よりコーヒーがいいな」ぐらいのレベル。

とりわけ平成生まれの中高生はインフラがかなり整備されてから生まれている。そのためインフラの仕組みやその素晴らしさを肌で感じる事はなかなかできない。だから勉強するわけである。

社会生活と健康は端的に言うとまさに“社会生活そのもの”である。

このスライドの背景である東京の街並みはその象徴でもある。

人が働き、電車が通り、多様な食品がある。

その街を整備する中で、環境を破壊してきたことも解決されていない問題として、また象徴的だ。

スマホの登場で、人々が多くの情報を扱うようになり、スカイツリーが建てられた。

また、この写真には人工物しか写っていない。

大都市に生きる人々は、人が作り上げた世界の中で生活している。

そんな世界に生きる中高生に、どんな話をすればいいのか。

一つは仕組みを知ってもらうこと。これは教科書やNHKの動画を見れば十分である。

あとは「それがなかったらどうなるのか?」という想像力だと思う。

教科書では、過去の公害について書かれている。とても重要だし、ファクトだから教科書にも掲載することが可能である。

でも、文明がない(崩壊した)場合の人々の振る舞いはもっと生徒に考えさせていいと思っている。

「環境汚染→健康被害→改善してきた」という歴史だけでは、道徳的すぎて逆にスルーされやすいのではないか。

だからこそ、文明が崩壊した後の想像力を描いた2つの作品を紹介して3単元の学習をより深いものにしていきたい。

授業ではマッドマックス怒りのデスロードの冒頭25分をみせた。

この時点で授業の半分は消費していて、15分ぐらいでも良かったと反省している。でも、砂嵐に入るまでの流れは秀逸すぎてどうしても見たくなる魅力があるので難しい。

映画の冒頭では、この映画の設定が音声での説明がある。

それが上の図になるんだけど、授業ではマックスがどうなったかとかではなく、

「この状況の中で人々はどう生きているのか」という部分を考えることに焦点を絞る。

水がない、食糧がない、空気が汚い。結果的に寿命が短くなる。

その中で彼らは「奪い合う」という価値観に支配されていく。

結果的に、腕力が強いものが権力を握り、腕力がないものはモノ扱いされていく。

その象徴が「輸血袋」であり「逃げ出した女性たち」である。

戦争はなぜ起こるのか

ここで一つ考えたいのは「戦争」についてである。

戦争というのは、相手国を侵略し自分の陣地を広げる、資源や人材を自分たちのものにしコントロールする。

単純に言えばこうなるだろう。

戦争というのは身の危険を感じた時に「相手から奪ってしまえ」という発想から起こるのではないか。

兵隊として戦うことを余儀なくされた人たちも「やられるなら、やるしかない」というマインドコントロールをされていただろうし、そんな状況は白塗りの彼らと同じで狂気に近いものがあっただろう。

このスライドでは劇中で使用された車やバイクまたイーモータン・ジョーの画像を見つつ、検証していく。

とにかく劇中で出てくるのはApple製品のような洗練された完成品ではなく、ありものをくっつけて改造したものばかりである。当然健康的に生きることができない世界なので人もまたつぎはぎだらけなのが特徴的である。

自分が走るためには、また自分が生きるためには、使える物を奪って自分に付け足していく。そんな生き方が求められるのである。

まさに「奪うか奪われるか」である。これがマッドマックスである。

これを生徒に投げかける。

はじめは生徒もわからないのでヒントを少しずつ出していく。

「宮崎駿」というワードを出さない限り、答えにはなかなかたどり着かない。

マッドマックスの監督であるジョージミラーは大の宮崎駿ファンであり、日本にきたら一番いきたい場所はジブリ博物館らしい。(さっきからちょいちょい出ている「北斗の拳」は作者がマッドマックスに影響を受けまくっている作品である)

このようにナウシカの第1巻の表紙裏にはこのような設定が載せられている。

人が作り出した巨神兵によって世界が崩壊するって、核戦争で世界が崩壊する設定とほぼ同じである。

文明が崩壊した世界で、宮崎駿は主人公を飛ばし、ジョージミラーはバイクや車を走らせた。

ただ、それ以外にも決定的な違いがあり、それは「どう生きるのか?」というアプローチの仕方である。

ナウシカ達は、一からコツコツと住める場所を作り上げていった。

虫と共存するために虫除けの塔を作ることで争うことをしないシステムも作り上げた。

風の谷での生活は豊かさの象徴と言ってもいい。

自分たちで生活できる環境を作り上げ、高齢者も、子供も、女性も関係なく協力して生活している。

彼らの中には信頼関係があり、安心感がある。

環境は厳しくとも、安心感のもと生活できている。

その対極がマッドマックス的な価値観であろう。ナウシカの劇中でナウシカが戦っていたのは「奪い合う」「邪魔者は排除する」という価値観そのものである。

漫画では巨神兵とも心を交わすシーンまで登場するのである。

この2つの映画を比べた時に、我々が選択するべき生き方は何だろうか?

力なき者でも安心して生活できる社会を作ることだろう。

争うのではなく、共生するためにどうするのか。

人々が安心して生活できるようにするには何を改善しなければいけないのか。

働き方はどうしていくべきだろうか。

そんなことを考える3単元にしていきたいものである。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

あしたからも生徒のために汗をかきましょう!!

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