【アニメで保健体育】『笑ウせえるすまん』で学ぶ”男らしさのリスク”

保健ネタ

こんにちは。ホケンタイイク246です。

エンタメ作品から保健体育的な要素を抽出して授業に活かしていきたいこの企画。

子供のころに何気なく見ていた作品も、大人になって見返してみれば見え方が違って見えることがあります。とくに保健体育のような「生き方」や「生活」を取り上げるような教科を通してみるとより学びが多くなります。

そこで、アニメや漫画を保健体育的な目線で楽しもうというシリーズになります。

今回は2回目の登場『笑ウせえるすまん』で「たのもしい顔」(kindle版の1巻・アニメあり)を取り上げていきたいと思います。

目次

  1. 頼母雄介(41歳)「頼り、甘えられる人なんてどこにもいない」
  2. 喪黒福造「安心して甘えられる人を紹介しましょう」
  3. 喪黒はなぜ奥さんをその場に連れて行ったのか
  4. まとめ

①頼母雄介(41歳)「頼り、甘えられる人なんてどこにもいない」

今回のお客様は頼母雄介(41歳)。

この男は企業でバリバリ働くサラリーマン。仕事ができるだけでなく、顔が渋くて女性人気もあり、人格もしっかりしており部下からの信頼も厚い。家に帰れば、奥さんや子供だけでなく同居している母親にまで信頼され頼られている存在である。

周囲の目から見れば「すべてを兼ね備えたスーパーマン」なのだが、彼には彼なりのココロのスキマがある。

頼母のココロのスキマ

バーの帰りに気分が悪くなり、ビルの隙間で吐き気をもよおす頼母は喪黒に介抱される。

公園で二人で並んで座り、「ごめいわくをおかけしてすみません」と謝罪する頼母に対して喪黒は「気分の悪い時はお互いさまです。」と返しながら彼に語りかける。

「もっともっとお吐きなさい」

すると頼母はお酒だけでなく、ココロにあるものを吐き出しはじめる。

昔から「頼もしい顔」「しっかりしている顔」といわれてきた。

家族、友人、会社の連中に頼りにされ続けてきた。

期待されることは悪くない。期待に応えようと頑張ってきた。

でも、いつも頼りにされることは大変な負担がある。

自分だって時には甘えたい。

彼には頼りにして寄りかかってくる人がいても、彼自身が寄りかかることができる場所や人がどこにもなかった。

人生、しんどい時や辛い時もある。そんな時は甘えたい気持ちもあるが周囲に甘えられる人がいない。

自分だって時には甘えたい。

そんなココロのスキマに喪黒は手を差し伸べる

②喪黒福造「安心して甘えられる人を紹介しましょう」

喪黒は頼母にある住所が書かれた名刺を手渡す。

頼母は気にも留めていなかったのだが、嫁姑問題をなんとかして欲しいと仕事中に奥さんから電話が入ったり、会社の部下には事故の対応を自分たちだけでは心細いので頼母に一緒にきて欲しいと頼まれガマンの限界が来たのかヒステリックを起こしてしまう。

俺ばっかり頼りにするな!!

でも本心である「俺も甘えたい」「俺も頼りたい」「俺も寄りかかりたい」ということは言えない頼母。

仕方なく1人でバーへ行き、酔っぱらう。フラフラになりながら夜道を歩いていると喪黒の名刺の存在を思い出す。

ここだったら俺も寄りかかることができるかもしれない。

頼母は名刺に書かれた場所へ向かう。そこは壁にはヒビが入り、窓ガラスにはテープで修繕しているような二階建てのボロアパートだった。今晩、ここに来ることをわかっていたのか、喪黒がそこに立っていた。

「さあ、気分をゆったりさせて!あなたに素晴らしい女神を紹介してあげますよ!」

ボロアパートの一室に案内された頼母はドアを開ける。すると光が差し込む。

中には観音様が座っていて、「おいで、坊や」「よしよし、いい子だいい子だ。何もかも忘れてわたしのヒザの上でおねむり」と誘われるがままヒザの上で眠る頼母。

その姿に喪黒は「今夜は思い切り甘えればいいのですよ。オーホッホッホ。」と言い残しアパートを去る。

ここで終わっても問題ないのだが、喪黒がここで終わるわけがない。

奥さんとアパートへ

喪黒が次に向かったのは、奥さんのところ。

「ご主人は療養されています」と声をかけてタクシーでアパートへ向かう。

そこで見た光景は、目が垂れ下がり、足指は丸まり、女性の乳首を吸う乳飲み子のような姿。

観音様と描かれていたのは、ただの肥満体の女性。その女性に対して甘え、それを奥さんに見られるというラストで終わる。

甘えたい男を甘えさせるだけでいいのに、喪黒はなぜそれを奥さんに見せ付ける必要があったのか。

そこに、この話のポイントがある。

③喪黒はなぜ奥さんをその場に連れて行ったのか

以前、「鬱になりやすい人」の傾向について記事にしたことがある。その中で語っているのが『男らしさ』は時としてリスクであるということ。なぜなら、男らしさとは「一人でなんとかする」「助けを求めない」「強くあるべき」という発想に基づいていて甘えることを良しとしない生き方だ。

つまり、甘えることのできない頼母の生き方と酷似している。彼は見栄を張って周囲の期待に応えながら生きてきた。でも内面は今にも崩壊しかけている。

喪黒が「あと少しで手の施しようがなくなるところでした」というのは本当で、彼はいつ精神病を患っていても痴あしくないし、現実世界では男らしく生きられないのにムリした結果として鬱になる人が増えまくっている。

彼には本音を打ち明けられる、弱音を吐ける場所が必要なのだ。

喪黒はなぜ、あのような女性のところへ連れて行ったのか

ラストのシーンを見て、何を思っただろうか。

グロテスクに見えた人も多いかもしれないが、あれは頼母が「赤ちゃんがえり」しているシーンに他ならない。

甘えたいという本心は「母性に包まれたい」ということでもある。

0〜5歳までの子供にとって両親が頼みの綱。子供がいない人でもショッピングモールで「おかあさ〜ん」と泣きわめく子供を見たことはあるはず。あれである。何か不安があったり怖さがあると親を求める理由は、そこに安心感があるから。母性という「自分と受け入れてくれる存在」を求めてしまう。

それが中高生ぐらいになると外部化されていく。つまり友人や恋人、自分が熱中している世界(スポーツやアニメなど)に自分の居場所を求めるようになる。それが社会人になる頃には完全に外部化され家庭を持つ人も増えていく。

 親離れとは、親とは別に自分が甘えられる場所を作るということ。一人で生きていくことではない。昔ながらの友達と何回も何回も同じ鉄板ネタで盛り上がるのは楽しかった時代に戻れるから。そして、それが生きるための息抜きになる。

 頼母には甘えられる場所がなかった。昔話をする友人もいない。あるのは自我が芽生える前の母親に甘えた時代だけなのかもしれない。だから喪黒は母性を感じ赤ちゃんがえりできる場所を用意したのだ。

喪黒はそれだけでは終わらない。その光景を奥さんに見せつける。なぜ?

それは単なる悪巧みではないのが藤子不二雄A先生の憎いところ。

喪黒は、なぜ奥さんを連れて行ったのか

なぜ、奥さん(アニメ版では子供も)は頼母が赤ちゃんがえりしているところを見るシーンを描く必要があったのか。それはアニメ版のラストにアパートから去る喪黒の言葉から推察できる。

あの光景をみてー

頼母さんの本当の心を理解できるか?

嫌悪の情をもよおすか

頼母家の幸せはそれ次第ですなあ

オーホッホッホッ・・・

仕事をして、家庭を持つ頼母にとって帰る場所はやはり家庭であろう。職場という戦場で戦った彼を癒すのは家庭であるべきだ。これは男性を女性が癒すべきとか、夫を嫁が面倒をみるということを言いたいわけではない。家庭というのはお互い外では言えない文句や弱音や本当の気持ちを吐き出せる場所であるべきだということ。

人は弱くて一人では生きていけないから結婚するのだ。本当は弱い自分を奮い立たせて戦場に立てるのは帰る居場所があるからに他ならない。

だからこそ、奥さんはあの光景を見るべきで、強いと思っていた頼母にも「弱いところがある」「吐き出したい本音がある」ということに気づくべきなのだ。そこで頼りっぱなしだった夫婦関係を「頼り頼られる関係」にすることができるかどうか。

頼母家の幸せはそれ次第という喪黒のメッセージなのだ。

もうちょい嫌悪の情をもよおしにくい状況を用意してやれとツッコミたくなるが、それが喪黒スタイル。

性格悪すぎてビビる。

④まとめ

  • 人は厳しさという父性もいるが、優しさという母性がないと生きていけない
  • 安心できる場所はいろんなところにある方がいい
  • 昔ながらの友人と同じ話で何度も盛り上がれるのは、そこに癒しがあるから「ストレスへの対処」
  • 外に戦いに出るには、帰る場所があるという安心感が必要「働くことと健康」
  • 人は弱いから、一人で生きていけないから結婚する「結婚生活と健康」

そんなことを、この話から生徒には学んでほしいと思います。

こんな感じでエンタメ作品から保健体育的に大事な部分を抽出して生徒に紹介し、学びを深めてもらうような授業を展開していきたいと思っています。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

あしたからも生徒のために汗をかきましょう!!

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