「体育の目的ってなんだろう」サッカーの授業をしながら考えた

こんにちは。ホケンタイイク246です。

突然だが、みなさんは体育の授業の目的とは何かご存知だろうか。

生徒に聞いてみると「集団行動(協調性)」という答えが圧倒的に多い。自分はこの時に「ああ、学校体育は失敗している」と確信した。それと同時に「何か変えなければ」という危機感も同時に芽生えた。

今回は、学校体育の問題点を考え、どう変えていくべきか。自分がサッカーの授業を通じて考えたことを書いていきたい。

学校体育の目的

学校体育の目的とは学習指導要領によると「豊かなスポーツライフを送ることができる人材の育成」である。体育を通して運動の魅力を伝え、生活に運動を取り入れる人を増やすということだ。どれだけの体育教師がそのことに成功しているだろうか。逆に運動は嫌いではなかったが体育によって嫌いになったという事例は多く、失敗しているように思う。

とくにサッカーの授業では運動嫌いを増やす原因となっている。それはなぜか。未経験者が虐げられ、放置されるからだ。サッカーの試合をすると、このような形になる。中盤を経験者がボールを運び、運動能力の高い部活組が前線にいてパスを押し込む。彼らと仲はいいけど、サッカーが得意でない生徒は後方で守りに回る。そして、サッカー未経験者で前線、中盤のメンバーと人間関係がない生徒はコートの端でボールに関わろうとしない。判を押したように、このような配置に収まる。授業はボールを扱える生徒のために進められ、彼らと人間関係をもたない生徒は触ることすら許されない。

体育ではその状態が放置されることが多い。なぜなら多くの体育教師は「授業が問題なく終わればいい」と思っているからだ。普段はうるさい生徒が一生懸命ボールを追う姿をみて問題がないと思っている。10分の試合で一回もボールを触らない生徒のことなど頭にないのである。

「全体の空気を読んで大人しくしろ」

先述の「集団行動(協調性)」という生徒の答えはこの言葉の言い換えである。「下手なんだから触れない」「人間関係がないなら輪に入れない」というのが当然という空気。体育なんて面白くないと考える生徒が増えるのは当たり前だし、体育とはそのようなものと多くの生徒が考えている時点で学校体育は失敗している。

授業をおこなうにあたり、「集団行動ではなく個人の意思で取り組む体育」「全員が自分なりにサッカーをプレーする」ことを目標にして授業作りをした。

体育のスポッチャ化

まず取り組んだことはクラスを解体し、個人にすること。そして個人の意思によって取り組むことができる仕組み作りである。とにかく、集団行動ありきの授業をやめる。

そのために参考にしたのは「スポッチャ」である。

スポッチャとは、ボーリングなどでおなじみのラウンドワンに設置されているスポーツアトラクション施設。入場料を支払うだけで、エリア内のアトラクションを何度でも楽しめるシステムである。

それを応用し、グラウンドに「ドリブル」「シュート」「リフティング」という3つのエリアを作り、どこで取り組んでもいいとした。それぞれ5段階の課題があり、クリアすれば成績があがるという仕組みにして、それぞれのレベルに合った取り組みができるようにした。

この練習で教師が行うことは2つ。

1つ目はプールの監視員のように各エリアでルールとマナーが守られているかをチェックすること。他人に迷惑をかけてなければ何も言わない。(もちろんを何もしないことを推奨はしていない)

2つ目は生徒へのアドバイスである。各教科でも全体に授業をした上で、個別にわからないところを指導する場面がよくあると思う。体育も同じで、それぞれに異なる課題に対してアドバイスして回るようにした。

この練習の形式であれば、失敗しても誰にも迷惑をかけないので安心してプレーできる。また、それぞれが自分に集中しているので、誰からも注目されていない。人目を気にせず練習することができるので、どのクラスでも固まって何もしない集団はなかった。

ハッスルとエンジョイ

次はゲームである。

ゲームは大小の2つコートを用意して、どちらのコートで試合をするかは本人の選択に任せた。大コートのことを「ハッスル」、小コートのことを「エンジョイ」と名付けたのだが、そこには「ハッスルするだけがスポーツじゃない」ということを教えたかったからだ。自分の距離感でそのスポーツを体験すればいい。

そして、集まったメンバーで「オフサイドはアリか」など細かいルールを調整させた。コートを分けてゲームをするだけではコートの端でボールに触ることなく固まっていた生徒に場所を与えただけで終わってしまう。2つのコートでうまい人たちと下手な人たちがそれぞれ集まってゲームをするだけでは意味がない。このハッスルとエンジョイは趣旨の違いであって1軍と2軍ではない。集まったメンバーで自分たちでルールを調整し、ゲームがより面白くなるように工夫することを求めた。

あるクラスのエンジョイのゲームでゴールを4つ使用した「Wゴールサッカー」というものを生み出し、未経験者特有のボールに固まってしまう現象を緩和することに成功した。(これは他のクラスでも大好評で球技大会でも採用された。)

公式ルールはあくまで競技団体が作ったルールであり、時代の変化とともに調整が続けられている。つまり、絶対的なものではない。自分が小学生の時には人数や地形に合わせて「この木と木の間がゴール」「経験者は利き足シュートなし」など自分たちでルールを調整して遊んだものだ。体育の授業でも、そんな発想でルールを調整してみんなで楽しめるようにしていくべきである。

体育教師の専門性とは

体育教師の役割は運動の魅力をいかに生徒に伝えるかにある。凄い経歴を持っていても、GIGAスクールなどといってタブレットが支給されても、「生徒を管理し、言われたことをに従うことが良いこと」 とするマインドでは教育は変わらない。

授業では力関係で劣る生徒は、遠慮しがちになる。  これは”人間関係”の問題で、 本来の運動がもつ魅力の一部分でしかない。

見学した生徒と授業について聞いてみたのだが、その生徒は「(他の先生の)ハンドボールの授業では試合の成績が体育の成績と直結する。そうなると、チームメイトのミスに対する当たりが強くなり、正直、チームメイトも敵のような状態です。彼らに何も言われないようにプレーすることしかできない。でも、このサッカーの授業はそんなプレッシャーがないので『この授業が楽しみ』とみんなで話しているんです。」と答えた。

エンジョイでプレーする彼からそのような話を聞き、当初の「全員が自分なりにサッカーをプレーする」という目標を達成できたのではないかと思う。

誰と比べるわけでもなく、体を動かすこと自体を楽しむこと。 これも運動の魅力。 運動をすることで味わえる 「できなかった動きができるようになった」「汗をかくって気持ちいい」「動いた後に飲む麦茶うまい」  など、自分なりの楽しみ方を見つけて欲しい。

だからこそ体育教師は“集団行動ファースト”ではなく“生徒ファースト”で物事を考えるべきだ。その上で「自分の意思で取り組む」 「いろんな選択肢が用意されている」「必要なアドバイスを受けることができる」という環境を整えることが求められるのだと思う。

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