『無理ゲー社会』で教師をするということ。

こんにちは。ホケンタイイク246です。

夏休みということもあり、仕事だけでなく読書でインプットする時間を設けています。

いま読んでいるのは橘玲さんの『無理ゲー社会』

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現代人が抱えている生き辛さはどこからくるものなのかを丁寧に解説してくれています。

いわゆる「世界の真実」を知るタイプの本であり、生々しいほどの現実を突きつけられることになります。

そして、その処方箋は示されることはなく「じゃあ、どうすればいいのだろうか」と不安だけが残る人もいるでしょう。でも、橘玲さんの本はそれでも読みたくなる何かがあるのです。

取り上げたいポイントはたくさんあるのですが、今回は無理ゲー社会を生きる生徒たちに教師は何ができるのかを考えていきたいと思います。

目次

  1. 世界は「上級国民/下級国民」に分断されている
  2. 夢至上主義
  3. 納得できる落としどころはどこなのか

世界は「上級国民/下級国民」に分断されている

この本によると世界は上級国民と下級国民に分断されているといいます。

上級国民とは「自分らしく生きることができる人/夢を実現できている人」であり、

下級国民とは「自分らしく生きることができない人/夢がない、夢を叶えることができない人」のことを言います。

なぜ、このような分断が起きているのか。

それは『世界がリベラル化している』からだと筆者は言います。

「グローバル化」によって、伝統や地域に根付いたものよりも国際基準の勝負が行われるようになり、

それゆえ、いま世界で何が起きているのか、何が必要なのかを知っているか/知らないかで差がでる「知識社会」となり、

さまざまな成功例から導き出された方法論が溢れ、できないのは努力が足りないからという「自己責任社会」となっているのです。

グローバル社会では地域に根付いたものよりも、SNSを効果的に使うことのできる店舗が有利になったり、日本の顧客よりも外国の人にも買ってもらえる作戦が必要になるし、「情弱」という言葉がここ数年で流行しているのも知識を持っている人が得をする社会が出来上がっているわけです。

そして何よりもリベラル化した社会の根底にあるのは「誰でも努力さえすれば夢を叶えることができる/自分らしく生きることができる」という論理です。

つまり、上級国民と下級国民を分断しているのは「夢/自分らしさ」を追い求める生き方が世界的に蔓延していることにあるのです。

②進学校と夢至上主義

ぼくは進学校といわれる中高一貫校で教師をしています。

入学してくる生徒はなぜ中高一貫校を受験しようと思ったのでしょうか。

それは「リベラル化した世界を生き残るため」であることが多いように思います。

勉強はできればやりたくないけど「知識社会」を生き残るためには勉強しておかないといけないという発想です。

また、「運動ができないのでせめて勉強だけでも」という声もよく聞きます。

それはスポーツとは違って勉強は「やればできるようになる」と思われているからです。

これは半分正解で半分間違っています。

スポーツも勉強も得意不得意があって努力しても伸びないものがあります。だから、勉強は努力すればできるというのは正解ではありません。

しかし、知識社会ではスポーツを頑張った生徒より勉強してきた生徒の方が門戸が開かれています。用意されている椅子の数がそもそも違う。東大に入るよりプロ野球にドラフトされる高校生が圧倒的に少ないように、スポーツで身を立てることは狭き門なのです。だから、超超一流の素質がなければ勉強に時間と労力を配分することは間違ってはないのです。

勉強にお金と時間を費やして早くから大学受験を意識して勉強する中高一貫校では「夢至上主義」というか「やればできる」という論理が横行します。

できない生徒は「努力が足りない」「生活習慣が悪い」「やり方が非効率的」と大きく分ければ3つの理由で改善を求められます。そのために遅刻指導であったり、宿題のチェックだったり、独自の手帳を持たせて時間管理させたり、余計なことを考えさせないための服装頭髪チェックなどさまざまな施策が常態化しています。

ブラック校則と揶揄されることもありますが、基本的には「豊かに生きること」よりも「成長すること」が優先されることに生徒も親も納得している部分があるため「仕方がない」「こんなものだ」と受け入れているように思います。

生徒を見ていると、自発的に知識社会のサバイブに参加している生徒は自分で資料を集め、科目を選択し、効果的な勉強法を模索しながら取り組んでいます。

しかし、中には強制的に競争に参加させられ、勉強しなかった場合のリスクで脅され、周りの雰囲気に流されて定期テストを怒られないように切り抜けるだけの生徒も多くいます。彼らは努力できない自分を嘆き劣等感を感じながら生活していて自己否定的なコメントが増えていきます。

つまり学校でも分断は起きていて、学校生活を通じて「自分はこんな人間なんだ」という自己評価が勉強のできる/できないで決まっていくのです。

③落としどころはどこなのか

いま、高校3年生の担任をしています。

夏休みと同時に三者面談をおこない、40以上の生徒と保護者の方と話をさせていただきました。

文系でも理系でもない体育会系である僕は的確に進路についてアドバイスすることができなかったことが本当に申し訳ないという気持ちなのですが、それでも一定の仕事はできたと思います。

それは三者面談というものは「落としどころをさぐる」ものだからです。

三者面談とは「生徒」「保護者」「教師」の三者で行います。

生徒には生徒の理想や夢など自己幻想があります。

保護者にも保護者なりの幻想を持っています。

教師は現実を示し、理想と現実との距離感を測り、生徒と保護者が納得できる落としどころを探ることが仕事になるわけです。

なので生徒と保護者の気持ちを引き出し、数字を見ながら一緒に話を進める。

ズバリ!!と正解を言い渡すのではなく、最善解を一緒に作り上げるわけです。

でも、小学校のときから大学受験を見据えて塾に通わせ、中高一貫校で勉強させて、高校3年生の成績を見たらとてもじゃないけど難関校は厳しいという場合に、それを受け入れることができない生徒や保護者の方がおられます。

「早くから勉強させて備える」という一家の作戦が失敗しようとしているわけです。

そこで「勉強だけが人生ではないですよ」とはとても言えない。

言えるわけがない。

「現役生は伸びると言います」「共通テストまでは志望を下げず頑張りましょう」

といいながら、別オプションをサッと差し出すしかないのです。

これはベテランでも体育会系でも一緒だと思います。

無理ゲー社会で教師をするということは、リベラル化した社会を背景に勉強に懸ける一家の思いを受け止めつつ、理想はあれども現実は現実として受け止めてもらうことをダメージを最小限にして伝えることなのかもしれないと考えさせられました。

全員手をつないでゴールする徒競走は嫌いですが、だからと言って勝つことがすべてではない。人が持つさまざまなグラデーションを本人が気づいてもらえるようにしたいものです。(←難しすぎる)

最後まで読んでいただきありがとうございました。

明日からも生徒のために汗をかきましょう!!

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