【読書感想】「カッコいい」とは何か

こんにちは。ホケンタイイク246です。

今回は、「カッコいい」ということについて考えていきたいと思います。

なぜ、そんなことを考えようかと思ったのか。

それはオリンピックや甲子園を見ていて「この舞台に立っている選手はカッコいいな」と思うと同時に「この人たちは、かつてテレビなどでオリンピックや甲子園を見て、同じように『カッコいいな』『いつかこの舞台に立ちたい』という憧れがあったに違いない」と考えたことがきっかけです。

要するにアスリートもただ才能があって努力してきたからではなくて、自分の内側にある「カッコいい」というものに導かれた結果、この舞台に立っているのではないかと考えたのです。

その「カッコいい」について少しでも理解を深めることができれば、生徒の意欲を引き出すことにつなげられるのではないかという考えもあり、平野啓一郎さんの『「カッコいい」とは何か』を読んでみました。


この本を読んで、自分なりに「カッコいい」を整理すると

  • 触れた瞬間、目撃した瞬間「しびれる」「鳥肌が立つ」ような体感がある
  • 非日常的で素晴らしく、「できればこうなりたい」と追体験したくなるもの
  • 非日常という普遍から抜け出しているもの。(努力か、才能かは別問題。)

というものである。

「いま長瀬!!」

自分にとってカッコイイ存在は「長瀬智也」がランキングぶっちぎり1位なのだが、なぜって言われても困る。

とにかく「しびれる」のだから仕方がない。

  • 池袋ウェストパークのマコト、タイガー&ドラゴンの虎児
  • 情熱大陸でのスケボーシーン

カッコいい。かっこよすぎる。

古着好きになったのも、スケボー始めたのも、長瀬智也の影響でしかない。

「ネルシャツ着て、スケボーのってる俺。いま長瀬!!!」

側から見ればイタいやつなのだが、本人が満足しているのだから仕方がない。長瀬のコスプレは今も続いていて自分に影響を与え続けている。

だから「カッコいい」というものは理屈じゃなくて体感が伴うっていう意見に納得するしかない。

平成の怪物にかけられた呪い

あと「横浜対PL学園」を小学校5年生でみたときもしびれた。

もう全部真似したね。松坂を。

グローブも真っ黒のミズノにしたし、ピッチングフォームのテークバックも真似した。(その結果、肩痛めた。)

そして何と言っても、あの試合が自分を野球にのめり込ませた。

すべてを野球に注ぐ。そして甲子園に行く。そう決意させた。

甲子園の熱狂が一人の小学5年生に呪いをかけたのだ。

サッカーとか音楽とか恋愛とかカラオケではなく生活の中心は野球。

土日の休みはもちろん、帰宅してからの時間も野球に費やすのが当たり前になった。

あの試合は多くの人を呪いにかけたと思う。それぐらいインパクトがあった。

カッコいい。あんな風になってみたい。

それは「生きがい」にもなるし、「呪い」にもなる。

野球があって生き残れた人もいれば、野球で狂ってしまう人もいると思う。

それは、もう仕方がないことで全員が思い通り行くわけではない。

だからこそオリンピックや甲子園に出場するテレビの向こう側の人間に価値が生まれる。

「すべてを懸ける」エネルギー

スポーツの世界もロックスターも「すべてを懸ける」エネルギーが凄いからカッコイイ。

安全安心計算通りのモノではない。

どうなるかわからない危うさもスパイスになってしまっている。

スポーツ好き、音楽好きは数多くいても「すべてを懸ける」ことができる人はどこまでいるだろうか。

  • いつ怪我するかわからない
  • 食えるようになるかわからない

そんな一般論を跳ね返して「すべてを懸ける」姿を見ると、かつてどこかで諦めた人にとって「自分にはここまでできなかった」という思いも重なって余計にカッコよさが深く刺さる。

自分はプロ野球選手にはなれず、いまは体育教師をしながら高校野球の指導者をしている。家族もいて子供も小さいので野球に生活の「すべてを懸ける」ことはできない。

自分とは全く違う日常。保守ではなく何かに懸けて人生を過ごした人にしかできないパフォーマンス。

これからも楽しませてもらうと同時に、自分の仕事が誰かにとってそのような影響を与えるだけのカッコよさをもてるようになりたい。

そんなことを考えながら、きょうも倒立の練習を繰り返すのである。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

明日からも生徒のために汗をかきましょう!!

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