こんにちは。ホケンタイイク246です。
いま平野啓一郎さんの『自由のこれから』を読んでいます。
第2章「イノベーションが覆す人間の生き方」を読んで、自分なりに自由についてまとめると以下のようになります。
- 人は不自由があるから自由を求める。自由とは選択肢があり、自分の意志で選べること。
- 自由があっても選択肢がありすぎると、人は「何を選んでいいかわからない」と困る。
自由は大きく2段階の壁があって、それを乗り越えてこそ「自由な生き方」が待っているのではないかと思うようになりました。
人は不自由があるから自由を求める。
地方から東京に上京する人が多いのはなぜでしょうか。
「親からの束縛から逃れたい」
「田舎と比べて都会には選択肢が多い」
このような理由で東京を目指す人が多いように思います。
親や街によって行動や選択肢が制限されることに不自由を感じて我慢できない。
東京に行けば自分のやりたいことを自由にできるはずと乗り込んでいくのです。
アメリカやロンドンやシンガポールに移住する人も
日本での生活に不自由を感じている人が自由を求めて飛び出していく印象があります。
ぼくは上京したことも海外移住したこともないのですが、教師を10年やってきて気づくことがあります。
ほとんどの反抗期が「自分の思い通りにいかないこと」と「親からの束縛から逃れたい」という気持ちが合わさったもの。つまり、不自由と自由の問題なのです。実は、自分の思い通りにいかなくても自分が選んだ道の結果であれば本人が納得するし、親の束縛があっても本人が自分で行動の選択権を握りたいと思っていなければ反抗することもありません。
反抗期の解決策は『生徒自身がレベルアップして今の課題をクリアすること』『保護者は生徒と話をしながら本人に決めさせる』という2つに尽きます。
不自由な状態から自由になりたければ、実力をつけて選択肢を広げることと必要なサポートを受けることが必須なのです。
リオネル・メッシを見てください。
敵のディフェンダーやゴールキーパーは自由にプレーさせないように、(ルール内で)さまざまなことをしてきます。それをひらりひらりとドリブルでかわし、パスで相手を翻弄し、芸術的なシュートを決める。
不自由な環境であるはずなのに自由にプレーしているメッシの姿に人々は熱狂するのです。
このメッシのプレーは何によって実現しているでしょうか。
- メッシの類まれなテクニックとスピード、感性という個人技能
- チームメイトとの連携
この2つが組み合わさることで実現しています。
あくまで自分の主観ですがメッシのスーパープレイはバルセロナでのプレーであってアルゼンチン代表でのプレーではありません。メッシが代表戦で手を抜いているわけではなく、周囲との連携によって彼のプレーもまた変化するのです。
つまり自由は1人では成立しないと考える方が自然なのです。
親や地方から上京しても、自分の実力でお金を稼ぎ、自分を支えてくれる誰かを見つけないと「自分らしい生き方」「自由な暮らし」は手に入らないということは肝に銘じておいた方がいいでしょう。
自由があっても選択肢がありすぎると、人は「何を選んでいいかわからない」と困る。
人は自由を欲しがるものですが、自由であることに困ってしまうのも人間です。
インターネットが普及し、スマホを持っている現代人はありとあらゆる情報にアクセスすることができます。
しかし、ありとあらゆる情報にアクセスする人はどれだけいるでしょうか。
自分の限られた興味関心のあるジャンルを何となくグルグルとネットサーフィンしたり、
YouTubeではいちいち検索して選ぶのも面倒くさいので連続再生で流れてきたものを何となくみているだけ。
そんな使い方をしていないでしょうか。
人はあまりにも情報が多かったり、選択肢が多かったりすると「何を選んでいいかわからない」という状態になるのです。
だから「まとめサイト」や「レコメンド機能」のような『誰かが選んでくれたパッケージ化されたモノ』が人気になるわけです。
でも、それは本当に自由なのでしょうか。
誰かに選ばされているのではないでしょうか。
果てしない選択肢を目の当たりにしたときに「自分の目的」がハッキリしていないと、それを取捨選択することは不可能です。
リオネル・メッシ並みのテクニックを持っていても「絶対にこの試合で勝つ」と思っていなければ、才能は活かされることはありません。勝つ闘争心がなければ「ゴールするために最善の方法は何か」と考えることはできないでしょう。
メッシは「絶対に点を取る」という目的があるからこそ、ドリブル・パス・シュートという選択肢の中から最善の手を打って得点することができるのです。
コレと同じで、「プロ野球選手に絶対なる」「東大に合格する」という目的がある人は膨大な情報を取捨選択することができるでしょう。そこから得た情報を使ってさらなる飛躍を目指すに違いません。
この情報社会において、ますます大事になってくるのが「自分がなにをしたいのか」「自分は何を大事にしたいのか」という部分なのだと思いました。
さいごに
カネ・能力・イノベーションによって自由や選択肢が広げることは可能です。
そのために中高時代から勉強して偏差値の高い大学を目指したり、
プログラミングを勉強して仕事に困らないようにしたい、
そのように考える人は多いでしょう。
そうして手に入れた自由を生かすも殺すも自分がどの方向に進みたいのかという感性が必要です。
リオネル・メッシはパリへ行きました。
ぼくは倒立を練習しています。
あなたはどの方向に走ろうとしていますか?
その手助けとしてインターネットがあることを忘れないようにしてください。
つまり、あなた自身が主役であって、情報に何となく誘導されないようにしましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
明日からも生徒のために汗をかきましょう!!