「どこまで人に自由を与えるべきか」野球を通して考えてみる。

こんにちは。ホケンタイイク246です。

最近、平野啓一郎さんの「自由のこれから」を読んでいます。

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今回は「どこまで人に自由をあたえるべきか」について考えていきたいと思います。

本書の中にはテクノロジーの進化によって、人の自由こそがリスクであるという社会がやってくるのではないかということが書いてあります。

たとえば、自動運転車が人が運転するよりも安全に運転できるようになれば、人の運転こそがリスクになるわけです。そうなると、社会はどうなるのか。人を運転させないような法律ができるかもしれない。そうなれば車を運転することに喜びを感じている人の楽しみを奪うことになりますが、安全安心な社会のためには仕方のないことであると解釈されるでしょう。(タバコと同じですね)

つまりテクノロジーの進化によって人が運転する自由が奪われてしまうということです。

この流れはスポーツ界でも顕著です。

野球やサッカー、バドミントンやテニスなど人間が審判をしている競技において判定に不服がある場合はビデオ判定を導入するルールが設けられています。

導入当初は試合の流れを損なうとして嫌われる意見が多かったように思いますが、慣れとは怖いものでいまでは日常の風景として受け入れられています。

野球界ではトラックマンという軍事技術を応用して投手の投げたボールの回転数や回転の軸などを瞬時に測定する機械が登場したり、ストライクゾーンに対してボールがどこを通過したか表示してくれる技術がテレビ中継などで活用されています。

その技術を試合で使えばどうなるのか。

それが野球界では議論になっています。つまりストライク・ボールの判定を機械に委ねるとどうなるのかということです。

実際にアメリカの3軍にあたるAAのリーグで試験的に導入されることが決まりました。今まで通り審判は立っているのですが、判定は機械が行う。投げられたボールの判定はインカムを通じて審判に伝えられ、審判がコールするというものです。

この機会による判定については賛否両論あります。

  • 人がジャッジするから面白い。
  • 審判にストライクに見せる技術(フレーミング)が不要になり、レベルが落ちる。
  • 機械がジャッジすることで不平不満や判官贔屓がなくなる。

野球のどの部分を楽しんでいるかの違いであって、どの意見も間違いないように思います。

スポーツはあくまで、プレーしている人が楽しむものです。プロスポーツであれば観客も楽しめることも重要になります。

人にどこまで任せるのか

機械にどこまで任せるのか

どちらにもメリットとデメリットがあります。

ここで大事なのは「どのデメリットなら受け入れられるのか」という発想です。

人に審判をさせるなら誤審も野球だと受け入れて楽しむことができなければいけないし、

機械に審判をさせるならフレーミングの楽しみや人の仕事を奪うことになる。

つまり、

「自由を守るために個人でデメリットのリスク管理を行うのか」

「自由を差し出して、管理されることで安全安心を確保するのか」

どちらを選ぶのかという話です。

メジャーリーグではAAのリーグ戦で試験的に導入することで最適解を探しているわけです。

この議論に正解はないため、試験的に導入して議論してみんなが納得できる方法を探るやり方は大いに賛同できます。

体育やクラス運営、クラブ活動においても「どこまで自由を与えるか」という話はついて回ります。

そのときに考えるべきことはメリットよりも「デメリットの対処法」なのかもしれません。

しかし、そのことばかり考えていれば「今まで通りやっていた方が安心」となって進歩のないまま時代遅れになることもあるでしょう。

だからこそ、時代を先取りするようなテクノロジーを受け入れ、どのようにいままでのモノと『混在』させるかという発想で取り組むべきなのです。

機械による判定が結果的にどうなるかはわかりませんが、このメジャーリーグの姿勢を見習って教育活動に取り組んでいきたいなと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

明日からも生徒のために汗をかきましょう!!

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