【漫画で考える】ナルト達はなぜ戦うのか(子どもと大人の違い)

エンタメ×保健体育

こんにちは。ホケンタイイク246です。

最近、『NARUTO』をゲオでレンタルして読んでいます。

理由は『呪術廻戦』をネットフリックスで見ていると既視感があって、なんだろうと考えたところ「あっ、これNARUTOだわ」という結論に。そうなってくると「NARUTO読みたいわ~」という気持ちがふつふつと沸いてきて、レンタルするに至りました。

もともとNARUTOは熱心に追いかけていたわけではなく、ジャンプでなんとなく読んだりした程度。あらためて読みはじめ、15巻までしか読んでないのですがいろいろと考えさせられる点があったのでまとめてみたいと思います。

彼らの背景を追う序盤

漫画を読み始めると、序盤は主人公から順に各登場人物の紹介エピソードが続きます。

NARUTOの1~2巻はナルト・サスケ・サクラ・カカシという主要メンバーが物語を進めながら「どんなキャラなのか」が説明されていきます。読者にキャラクターを理解してもらうために描かれている要素はだいたい以下になります。

  • 身体的特徴と必殺技
  • 好きなものと嫌いなもの
  • 何のために戦うのか

NARUTOは少年ジャンプということもあり「身体的特徴と必殺技」がカッコいい。

これはワンピースでもドラゴンボールでもスラムダンクでも同じことです。

でも、読者が一番グッとくるのは「なんのために戦うのか」という部分であることを忘れてはいけません。

スラムダンクでミッチーが「バスケをやらせてください」というシーンに泣き、ゾロが砂だらけのおにぎりをじゃりじゃり言わせながら食べて復活するシーンに泣くのは彼らの姿勢に心動かされるからです。

NARUTOでも各登場人物の「戦う理由」が描かれます。

それは主人公のナルトやサスケといった子どものキャラクターとカカシや火影などの大人のキャラクターでは理由が違ってきます。

思春期を生きる少年少女

ナルト

主人公のナルトは生まれながらにして稀有な事情を持っていて、里の人たちから無視されたりよそよそしい態度をとられます。そのため彼は人の気を引くために悪戯を繰り返し、余計に周囲の人間から煙たがられる悪循環という日々を送ってきました。

そんな彼にとって戦う理由は「みんなから認められること」です。

「お前はここにいてもいい存在だ」と受け入れて欲しい。そのために力をつけて戦っているのです。戦う中で孤独や寂しさを克服できるのかが見どころになりそうです。

サスケ

「うちは」の血筋を持つサスケ。その一族はサスケを残して絶滅させられている。サスケが戦う理由は一族の恨みを晴らすために戦います。

我愛羅

両親からも周囲の人からも愛されなかった我愛羅。孤独で寂しい彼が他者と関わることができるのが「戦い」であった。化け物として生まれ、誰とも心を通わすことのできない少年の葛藤がすべて邪悪なパワーにつながっている。

みんなに認めてもらいたい

どのキャラクターも「自分を認めて欲しい」と戦っているということ。

  • 自分のことをわかって欲しい
  • 自分が何者なのか知りたい
  • みんなと友達になりたい

多くの中高生と同じ悩みを彼らは抱えているのです。

一見、我愛羅はそんなことを考えてなさそうにも見えます。むやみやたらに攻撃するわけでもなく「こいつは戦ってみると面白そうだ」という相手としか戦いません。

ただ、気持ちが昂っているときは邪魔しようとするものに対して攻撃することはあるのですが、大蛇丸のように計画的に策略を持って悪事を働くようなことはありません。

誰からも愛されず、コミュニケーションの取り方を知らない我愛羅。彼は喧嘩に明け暮れる昭和の不良少年のように攻撃でしか他者と関わることができないのです。

思春期を生きる少年少女は心の中にあるモヤモヤしたものを晴らすため、自分のために戦う。(それゆえ「誰かのために戦う」というワードが成長のキーになるわけです。)

誰かのために戦う大人たち

思春期をすぎた大人たち。彼らは戦う理由も少年少女とは違います。

カカシ

カカシは先生として部下としてナルト・サスケ・サクラの面倒を見ます。

彼が戦うときは、「部下を守る」あるいは「困っている人を守る」という場面です。

3代目火影

火影は先生より上の存在なので里全体のことを常に考えています。

里が今後も継続していくように、里のみんなが元気に暮らせるように考えて行動しています。

つまり「里を守る」ということが彼の行動原理なのです。

誰かのために戦う

思春期を過ぎ、自分の強さも弱さも理解した上で「自分ができることを、他者のために使う」のが大人でありカカシと火影のカッコよさです。

自分が私腹を肥やすため、自分の理想を実現するために行動してない。

これは現実社会で「働く」という行為も同じです。

働く行為は「稼ぐため」という目的のために行うと考えているかもしれませんが、基本的には「誰かの役に立つ」ための行為です。その対価としてお金をもらっているだけです。

大人になるということは、誰かのために体を張るということなのかもしれません。

ジョーカーみたいな大蛇丸

一方、同じ大人でも大蛇丸は自分のために戦います。

なぜなら思春期で自尊心と承認を獲得することができなかったから。思春期こじらせキャラ。

彼は「自分を認めなかった火影、里」を破滅させることが行動原理になっていきます。

俺を認めないお前たちが悪い。俺はこれだけ頑張っているのに。

これ、ほとんどホアキンフェニックスのジョーカーと同じです。

大蛇丸はジョーカーと違い能力と才能があるので戦略は全く違いますが、友達ができず、認めてもらえず、孤独に寂しく生きる姿は同じです。

孤独で他者を信じることができないため大蛇丸は仲間がいません。自分の計画を進めるためのコマがいるだけで簡単に裏切るし、命を落としても悲しみもしません。

不老不死を手にして、すべての術を習得し、最強の存在となってすべてを牛耳る存在となる。

それが大蛇丸であり、実力や能力があっても幸せになれない人間の典型例でもあります。

人は孤独に耐えられるほど強くありません。ジョーカーのように何も持たぬものだけでなく、大蛇丸も力をつけても孤独からは逃れられず苦しんでいます。

権力はあっても誰からも信頼されない人はどんどん支配的になっていきます。部下の動きを管理し余計なことはさせない。DVやハラスメントをする人は大蛇丸と同じ悲しい人なのです。

最後に

ナルトたちはなぜ戦うのかを整理してわかったこと。

人は自分について悩み、自分は何者なのか、できることとできないことを含めて理解する。その先に自尊心が持てるようになる。

自尊心が芽生えると、自分に自信が出てくる。そのうえで他者の為に自分の力を発揮することで社会から認められる。承認を得ることは生きていく上で欠かせない。

承認のないまま生きていくことは孤独そのもの。誰とも気持ちを共有することができず「なんのために生きているのかわからない」という状態に陥りやすい。

ナルトはそんなときに支えてくれる先生と出会い、生きる目的を見つけることができた。

大蛇丸は承認を得ることができずに、すべてを否定するダークサイドに堕ちてしまった。

NARUTOの面白さは「こうなったらいいな」という憧れと「何かのきっかけでこうなるかもしれない」という怖さが描かれている点にある。

「これをしてしまったら大蛇丸やな」

「ここでナルトはどうするだろう」

N ARUTOには行動を選択するときにそんなことを思い起こさせる力がある。やはり少年マンガは学生にとってそういう存在であるべきだし、30歳を過ぎた自分にとってのSLAM DUNKがまさにそれである。

お笑いの世界では、どんな年齢であっても売れるまでは若手芸人と言われる。それは、「世に認められるまで戦うこと」でもあり、どこかで見切りをつけたイルカ先生の生き方ではない。

自分自身、ホリエモンなどの著書や発言を聞いて「個人で稼ぐ力をつけて自由になる」競争に半分足を突っ込んでいるのだが簡単にはいかず「なんとか認められたい」ともがいている。そんな自分がNARUTOを読むと胸が痛む。

カカシに憧れてもがいて何者にもなれない下忍じゃねーか。

イルカになれよ。

そう語りかけられているように思えて泣けてくる。

誰もがスマホを持ちYouTubeやSNSで発信できる時代において、

社会で働くこととはどういうことか

生きることとはどういうことか

戦うってどういうことか

自分はオッサンなのでカカシや火影、イルカの姿を見て、そんなことについて考えさせられる作品だ。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

あしたからも生徒のために汗をかきましょう。

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