【教師のモヤモヤ】体育の成績は適切に評価できているか

2学期の授業が終了し、定期テストのない体育は他教科よりも少し早く成績をつけることができる。

すこし余裕があるからかもしれないのだが、成績をつけるたびにモヤモヤして悩んでしまう。

「結局は生まれ持った能力の順序になってないか」

「テストや記録が高いことが評価基準でいいのか」

「アクティブに運動すればそれでいいのではないか」

「どんなにできてなくてもだいたいこれぐらいつけないといけない」

こんなことを考えてしまうのは俺だけではないはず。

 平均点調整のため、全然やる気なくて記録も低いのにそこそこの点数になるように厚底ブーツレベルのゲタを履かせる度に何の仕事をしているのかわからなくなってくる。

評価とは何なのか。意味あるのか。そんなことを学期が終わる度にモヤモヤしているの評価に対するスタンスをまとめてみる。

目次

  • どんな方法で評価しているか 
  • 評価を意識させる場面 
  • 評価を意識させない場面 
  • 評価のために授業はしない

どんな方法で評価しているか 

本校は共通のルールがあり平常点:テストの割合が4:6となっている。

つまりどんな記録を出そうともすべて出席していれば40点は保障される。体育は実技科目ということで出席していることが最低限必要というスタンス。一方、テストは種目によって方法は異なってくる。 

記録 

陸上競技、スポーツテストなどは記録をもとに評価する。

それ自体は何の問題もないのだが、定期テストのように一斉にできないことにより条件が違ってくる。

たとえば持久走であれば[晴れ・雨上がり・雪]などで記録に大きな影響が出る。

また、2時間目なのか昼ごはん直後の5時間目なのかでコンディションは大きく違う。

時間割によって有利不利が出るなかで、すべてのクラスを同じように評価するのはムリがある。 

スキルテスト 

スキルテストは40人一斉にするのではなく1人を40回することになる。面倒くさい。

つまり40人を50分で試験をする条件だとした場合、一人当たりの時間が1分を超えると時間オーバー。半々にしたところで大した変化はない。要するにちょっとしたことしかできないことになる。

リフティングは上手な子は100回でも200回でもできる。しかし付き合っている時間がない。したがって上限10回までにするかわりにその中にどんな技を入れられるかで評価が高くなるなど工夫が必要になる。大事なのは短時間で評価できること。もう大人の都合でしかない。

さすがに1種の評価だけで成績をつけることはできないので何種かのスキルテストを行うようにしているが、試験を多くすると練習時間が取れなくなってくる。曜日ごとの時数の差もある。

そうなると結局は、能力のある生徒がどんどん有利になるジレンマに襲われることになる。 

ゲーム 

ゲームで評価することは全くしていない。

強いチームと弱いチームの格差がそのまま成績になるのはおかしい。じゃあチーム力の格差の内容にチーム分けすればいいのではないかと考える人もいるだろう。

そこでチーム力を均等にしたら今度は人間関係の問題が出てくる。

人間とは気心知れた仲間のミスは盛り上がれるが、そうでない人間のミスは空気が凍り付く。ミスした側もミスしているのに「ドンマイ」と気を使われることに嫌になる。そんな生き物だ。

もっと嫌なのはちょっとスポーツができるからといって命令指示されることだ。あの手のワーワーうるせーやつに「あいつがいたから負けた」なんぞ言われた日にゃ体育やスポーできてウェイウェイやってる連中を来世まで恨むことになるに違いない。「部活の大会でイキれよ。授業で素人相手にイキるな」といいたい気持ちなのはあなただけではない。サッカーを毛嫌いしている人はいないだろうか。たぶんそれはサッカーそのものではなくてサッカーでウェイウェイしてたやつがキライで、それを見ると体育の授業を思い出してしまう人なんじゃないかと思う。サッカーの普及はサッカーの授業にかかっていると言っても過言ではない。

話を戻すと、チーム力が均等で気心知れたメンツでチームを作ることができればいいが俺にはできない。

だから「こっちのコートは“ハッスル”であっちのコートは“エンジョイ”で」と種目に対するスタンスごとに分けて、そこで2チームを作らせている。大きな問題もないし、むしろ羞恥心を感じることなくプレーできると好評だ。

体育は運動好きを増やし生涯にわたって運動を楽しむ人間を増やすことが目的。そう考えたときにゲームで評価は違う気がする。 

ここまででわかるように、何でテストをしてみても「これで適切に評価できているのか」という疑問が出てくる。

評価を意識させる場面 

評価というものは使い方次第。

授業の中で意識させることで授業の効率を上げることができる場面がある。それは技術練習だ。

バドミントンやサッカーの授業では「ゲームさせろ」と脳内がパンパンな生徒が多い。技術練習はやってられない。

そこで技術練習でやることはそのままスキルテストでやると宣言し、評価基準を明示する。授業の度にテスト練習をさせる。こうすればどんなモチベーションの生徒でも練習に取り組むようになった。

普段の授業から試験の説明し、質問を受けたりするので試験のクレームもなくなった。一石二鳥。

評価を意識させない場面 

逆に評価を意識させてはいけない場面もある。それは先述した通り「ゲーム」に関するものだ。

授業の度に「結果で評価しない」「スポーツマンシップに反する行為は減点」ということに加えて「集まったメンバーでちゃんとルールを設定し直せ」という話をしている。

授業でゲームを行うにあたって教えたいことは「集まったメンバーでゲームを楽しむ」とういうこと。

バドミントンであれば「サーブは打ち直しを1回まで認める」とかサッカーであれば「マークは1人まで」など技術に乏しいグループほど特別ルールを設定する工夫が必要になる。

できないことを技術と戦略で乗り越えようとするのはスポ根の発想だ。体育は別のアプローチがあっていい。そもそも練習時間が多くないわけだし。手持ちの体力と技術で成立する方法を考えて楽しめばいいのだ。

俺も放課後に校庭でやっていた野球やサッカーは人数やレベル、地形に応じてその場限りのルールを適応して遊んだものだ。

それを体育で教えたいと思っている。

評価のために授業はしない 

「評価する」ということを利用することはあっても、評価のために授業はしない。

生徒が卒業したら自分なりのスタンスで運動を継続してほしい。授業はそのための準備である。

5年間持ち上がった今の学年は「体育のスポッチャ化」や「持久走の外部化」など実践してきたが、アクティブに運動に取り組む生徒が増えてきた印象がある。

生徒が選択したモノを自分のスタンスで取り組む。

そんな授業はできつつあるのだが、評価する方法は見つかっていない。

授業は授業。評価は評価。一体になっていない。だからモヤモヤする。授業は本音で評価は建て前。そんな割り切りをして3学期も全力で授業に向かう。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

明日からも生徒のために汗をかきましょう!!

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