『校則改革』制服の有無について考える

中学に入ると制服があって、それを着る。それが当たり前という価値観を持っていた。

そして、制服をいかに着崩すかが個性だった。

スニーカーを買ったり、靴下の色を気分で変えたり、シャツの下に黒のTシャツを着たり、体操服を加工したり。

でも時代は「そもそも制服いる?」というフェーズに突入している。そんな学校にある決まりや校則を疑い、改革してきた実践例や議論について書かれているのが『校則改革』である。


本書では服装指導や校則についてさまざまな議論が書いてある。それを内田良さんが陣頭を指揮している。

それはつまりはどういうことか。

緩やかにそちらに世論が形成されていき、学校がその世論を飲み込まれていくことで変化していくという遠回りな変化が起きるフラグに違いないということだ。

ドラマ『日本沈没』のように、“制服不要”のスローステップ現象が ある臨界点を境に 一気に加速し日本を侵食するだろう。(一部の僻地は影響を受けないかもしれないが。)

そんなことが起きるに決まっている。だから先手を取る。

つまり、世論という正義を武器に保護者に後手に回るのではなく、半歩先に動き出し「さすが先生。わかってる。」と言われたい。だから理論武装する。

それぞれの言い分

「制服をなくす」

そのように動き出せば色んな意見が飛び出す。必要派と不要派はそれぞれどんな主張をしているのだろうか。

制服が必要と主張する人の言い分

「なくなれば荒れる」「なくなればファッションに走って勉強しない」「なくなればキッチリできない」というもの。根本に性悪説があり「管理しなければいけない」という発想をもっている。

管理しなくては荒れる。クローズやろくでなしブルースの時代に教師をしていた方はそのことを痛切に感じておられるのだろう。でも、いまは暴走族もいないしタバコも吸わないし、殴り合いのケンカも滅多に見ない。時代は変わった。管理して、従わせる指導は「思考停止の行動できない人間」を量産してしまう。これは今からの時代ではリスクになる。

制服不要と主張する人の言い分

一方、制服不要論を唱えるの言い分は何か。「多様性を認める」「自分らしさ」「不要な指導をなくす」というもの。制服とは身体性別によって服装を規定してしまう。どうしてもスカートを履くことができない子がいた場合、学校に行くことそのものが嫌になってしまう。スラックスの選択肢がある学校もあるがスラックスを履くことで「性的マイノリティなのか?」と勘繰られることを恐れる生徒もいる。そりゃそうだろうと思う。もし、制服がなければもっと自然にスラックスなどを履けるようになるはずだという話。あと制服があるから制服指導がある。なけりゃ指導する必要もない。単純な話だ。

どう考えても不要論が時代に合っている。圧倒的に世論を味方につけやすい。『個性』『ダイバーシティ』という要件を満たしており、どこか欧米のオシャレで意識高い感じがプンプンするからだ。制服は一度買ってしまえば3年は使えることを考えると「持続可能な服装規定」という風にも考えられなくもないが、SDGsは投資家から金を集めるための施策なので一般人には届かないのかもしれない。

正義は一つじゃない

反対派と賛成派の意見を読み比べると見えてくることがある。 どちらも間違ってはいないのだ。

コナンの言うように「真実はいつも一つ」かもしれないが正義は一つではない。

立ち位置によって多様に変化する。だから話がややこしくなり、「じゃあ、またの機会に考えましょう」と議論は今までと同じ場所に不時着するのだ。

それは同時に「面倒くさいからそのままでいいじゃないか」という力はとてつもなく強く分厚いということを証明している。

本書の中に「いままで大丈夫だったんだからこのままでいいじゃないか」というフレーズが出てくる。

これ、つまりはめんどくさいってこと。

面倒なことは考えたくない。

この思考停止は日本にはびこる問題と関連付けて説明することもできるだろう。

「面倒くさい」と抵抗する人たちに負けずに校則を変えようとするから本書には「改革」という言葉がついているのだ。

“改革”に必要なこと

「改革」とは、面倒くさいことを先にしておいて後になって楽になる「投資業務」であるということ。

校則を変えて教員のやること増えて生徒のストレス増えたら改革ではなく「改悪」である。

将来を見越して先行投資する。

そのロジックはもちろん解像度が高くないといけないし、抵抗勢力を口説く説明力や演技力に根回し、そして行動力が求められるわけで、そりゃなかなか実現しないわと妙に納得してしまった。

これができるならビジネスマンになったほうがいい人生が送れるはず。

教師はどこかで「楽しく授業ができればいい」と思っているので面倒なことを後回しにした結果、俺たちは目先のモグラ叩きに必死になって仕事量増やしてるおバカ集団ということなんだろう。

手を離して、目を離すな

制服の有無がどうなるかはわからない。

一人でどうこうできる問題でもなさそうなので、いまはインプットしつつシミュレーションをすることしか俺にはできない。

そんな俺でも制服の有無や校則の必要不要ということを考えることで確信を持てたことがある。

それは「結局、それって大人が面倒くさいからじゃない」というスカウターをかけて学校をみれば、校則改革の手がかりが見えてくるということ。

あと、「管理して従わせる。管理して評価する」というスタンスではなく「任せて見守る。手を離し、目を離さない」というスタンスで指導しなければこれからの時代に教師としてやっていけないということだ。

それに慣れていないとどこかを境に一気に時代に取り残されるだろう。

教師は一生学びつづけなければいけないということを考えさせられた次第である。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

明日からも生徒のために汗をかきましょう!!

スポンサーリンク