【心理学】人が成長する条件と堕落する様子

こんにちは。ホケンタイイク246です。

先日、本屋に行って『心理学用語大全』を購入してきました。 


人は何を考え、どう感じるのか。自分自身がなにを考え、世の中がどのような方向に進んでいるのかを知るのは心理学を学ぶと理解しやすくなります。
とくに思春期を迎える中高生はいろいろ悩むことはあれど「どう考えていいのかわからない」ため悶々と悩みを大きくしてしまうこともあるでしょう。

そんな悩める中高生の不安をすこしでも解消できる

今日は『心理学の誕生』という章のP50「魂」P51「魂の三分説」を取り上げていきます。

心=魂である

ソクラテスは「心=魂である」と言った。

その弟子のプラトンによると、「人は生まれながらにして魂を持っていて、魂があるから我々は「善」や「美」を生まれながらに知っているのだ。」「わたしたち人間は魂を持っているから美がわかる。だから夕日が落ちるのを見て『美しい』と感じることができる」と語る。

犬には「オレンジやな~」ぐらいしかわからん。それにくらべてわれわれ人間は”美”を感じることができると。

なんとなく人間を高く見過ぎな感じが鼻につくけど、なんとなく言っていることには納得できる。

電柱におしっこをかける行為、その恰好。とても美意識があるとは思えない。

それに、人は生まれながらに心=魂を持っている点についても納得できる。

何が好きで、何をかっこよく感じるなんか後天的ではなくて圧倒的に先天的なものだ。それにいつ出会うのかという話。

小学校1年生のときにメジャーリーガー野茂英雄に魅せられて野球を始め、気付けば35歳になる現在でも野球に憑りつかれている。

別に誰かに強要されたわけではないこの感性。
「そういうふうに生まれてきた」としか言いようがない。

魂の三分説

魂は「理性・意志・欲望」の3つからなるとプラトンは説いた。
意志は上へ登っていこうとする
欲望は下へ落ちていこうとする 
理性はそれをコントロールする 
よく教科書に載っている2匹の馬を操縦する絵があるが、3つが調和してはじめてしっかりと前進できる。 

それらがうまくコントロールできればどうなるか。
意志→勇気 
欲求→節制 
理性→知恵 
となり、それが調和して正義となる。
勇気・節制・知恵→正義=魂の四元徳と呼ぶ

悪知恵はこうして生まれる

人が成長する要素、堕落する要素はこの魂の三分説を使えば説明することができる。

結局、何かを成そうと思えば理性が必要になるということだ。
例えば「学力を伸ばしたい」「成績を上げたい」という目標を立てたとする。
その場合、どのような働きが自信に起きるのか。

意志=学力伸ばしたい 
欲望=ゲームしたい 
理性=どうする? 


理性によって欲求をコントロールできれば「ゲームをできない環境を自分で作る」とか「ゲームは勉強のノルマを達成してから」などできる。
ちなみにこれはできない生徒の三者面談で繰り返し語られる話である。


大抵はできない。

理性がきかないとなるとどうなるか。


ゲームをしながら「どうやって勉強したことにしよう」というところに頭を使いだす。

部屋に入ってきた親にゲームをしていたことを悟られないようにするために、「自分の姿勢」「スマホの置く場所と角度」「勉強をしているかのような自然な机上の絵作り」に全力を使う。


すべてが方向を間違えた知恵である。

欲望に意思が負け、意志が負けたことを隠そうとすることに知恵を使う。

こうして悪知恵が生まれていくのである。

開き直りか、割り切りか

そのような知恵すら働かせない者は「あとで怒られることを受け入れる」という強い意志を持つ。これは怒られる勇気ではなく「開き直り」である。

彼らは欲望のみで意志も理性もない。

真面目じゃない、成績が悪いことにビクともしないメンタル。

周囲が自分のことを諦めてくれることをひたすらに待つ。
場合によっては暴れて「俺に何かするとこうなるぞ!!」と脅してくる。

こりゃ大変だと思う人も多いかもしれない。確かに学校の先生であれば指導対象であることには変わりない。

しかし、見方を変えれば評価の仕方も変わってくる。それが社会の多様性である。

俺はゲームで生きていく。勉強は不要ということであれば開き直りではなく「懸ける勇気」と呼べる。

勉強は捨て、ゲームへの取り組みは知恵・勇気・節制・正義という四元徳が揃った取り組みをしていればゲームの経験が将来に活かされることは十分に考えられる。

ゲームで生きていくのならば勉強などしていられない。節制して勉強しないという論理が立つ。

藤井聡太は将棋に専念するために高校3年の冬に高校を自主退学している。

「なぜ?あと数か月だけ籍を置いとけば全欠でも卒業できるじゃん」という声など聞きやしない。

すべてを懸けるとはそういうことなのである。

それは期間限定でも構わない。

自分は小学校から野球をしていたが、周囲には野球ばかりをしていたのにも関わらず、社会人として立派に勤めている人を多くいる。

それは野球を四元徳が揃った取り組みをしていて。それを他の業界に転用することで成長してきたのである。 

大事なのは意志に対して欲望をいかに節制するか、そのためにいかに理性を働かせ知恵を身につけるかという話である。 


学生であればそつなくこなすのも悪くないが「これだけは」と決めたものをとことんやるのも否定したくない。やってみないとわからないのが人生だ。
M-1が結成10年までと決まっているのは「10年やって無理なら芸人は諦めろ」という紳助のメッセージである。期間限定で夢を追いかける。そして、結果に応じて次の手を考える。こんな学生生活を送ることは間違ってないと思う。

今やるべきことから逃げない

夢を持て、夢を追いかけろ。そのように言われ、取り組むのはいいが本当に期間限定で終われるの? 

もし、何かに懸けたことが裏目にでて人生がにっちもさっちもいかなくなったらどうするの?「あのとき勉強しておけばよかった」と思っても遅いと思うんですけど。

このような反論をする人もいるかもしれない。

これは高校野球の場合ではあるが、ほとんどの高校球児は大学でやらない。

大学入学後は野球中心の生活からは程遠い生活を送り、卒業後は就職していく。

せいぜい草野球をする程度で、平日は仕事や学校、休日は野球という生活パターンで余暇としての野球を楽しむようになっていく。

野球人口は多いので色んな人がいるのは事実だが、甲子園やプロという夢は一部の球児のモノであって、大半の球児は「予選で一勝したい」「ヒット打ちたい」「あの選手みたいなプレーをしてみたい」「せめてこんなことはできるんじゃないか」という現実的なものを見ているものだ。 

だから高校野球が終われば泣いて非現実的な世界とおさらばして現実的な生活にシフトするのである。

現実に戻ったときに、目の前にあるやらなくてはいけないことにウンザリすることがあるだろう。場合によっては「もうすこし勉強しておけばよかった」と思う人もいるかもしれない。

「あと5万あれば生活が楽になるのに」ってみんなが思う心理と同じ。

結局は、今やらないといけないことから逃げたいという気持ちがあるだけ。「あの時しておけばよかった」というのは逃げる言い訳だ。

スラムダンクのミッチーが大事な場面でスタミナが切れて不良時代を悔み「なぜ俺はあのような無駄な時間を」ということを言うが、そこを後悔しても仕方がない。

そのことはミッチー自信がわかっていて、スタミナ切れの中で必死にプレーする。それがなかなかできないのが人間の弱さ。言い訳して力をゆるめてしまう。だから最後まで全力を尽くすミッチーの姿に自分は涙するのである。

ジャスト ドゥ イット!!

大学受験でもいいし、ゲームでも、部活でもいい。今のベストを尽くすことしか自分たちにはできないのである。

小さなことからコツコツと

結局、「心=魂」「魂の三分説」を知ることで、生徒のみんなに何を伝えたいのか。

小さなことからでいいので「勇気・節制・知恵→正義=魂の四元徳」がある生活を送りませんかということ。

「遅刻しない」とか

「朝テストで満点」とか

小さなことからで構いまわない。

そんな目標を立てる人は、それができない生活を送っているわけで、目標達成のために生活習慣を変えないといけない。

「もう少し寝れるのに」

「夜のゲームを我慢しないといけない」

「LINE送らないといけないのに」

いろいろあるでしょう。それらを断ち切るにはまさに「勇気・節制」が必要になる。それを身につけて欲しい。

そのような小さなことから変えていくことができなければその先にある大きな目標は達成できない。

皆さんの生活が昨日より自律あるものになることを祈っています。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

スポンサーリンク